なぜ私たちのシステムは目的を忘れるのか

これはフェンリル デザインとテクノロジー Advent Calendar 2025 23日目の記事です。

開発技術部の柴田です。 22日目担当のMametaさんが書かれた「超お手軽にロービジョン体験してみた」はもう読みましたか。

ユニバーサルデザインやアクセシビリティは、多様なユーザーを想定して設計するために、非常に難しい領域だと思います。テープ1つで考慮すべき事柄を自ら体験できるのは良いイベントだと思いました。 余談ですが、普段から眼鏡やコンタクトレンズを使われている人は、外してみるのも良いかなと思います。

さて、今回は会社の「仕組みのデザイン(設計)」について、最近考えている事を書こうと思います。

仕組みはいつか目的を忘れる

会社やチームには、生産性や品質、安全性を高めるために、さまざまなルールやプロセス、チェックリストが存在します。 それらは導入された当初においては、ほぼ例外なく合理的な理由を持っています。

ところが時間が経つにつれて、私たちは次第に「なぜそれをやっているのか」を考えなくなり、気がつけばチェック項目を埋めること自体が目的になっていきます。 本来向き合うべきは、ユーザーに高い品質と価値を届けることだったはずが、気づくと仕組みを守ることに注力している。 そんな状態に心当たりはありませんか?

そして目的が手段になる

組織のルールやプロセスは「目的」を達成するための「手段」です。 しかし、しばしばこの関係性は逆転します。

社会学者ロバート・K・マートンは官僚制の研究の中で、この現象を「目的の置換(goal displacement)」として説明しました。 本来は手段に過ぎなかったルールや手続きを守ること自体が、いつの間にか自己目的化してしまう状態を指します。

さらに問題なのは、ルールが私たちの思考をも縛ってしまうことです。 マートンは、ルールに適応する訓練を重ねることで、前提条件が変わったときに柔軟な判断ができなくなる現象を「訓練された無能力(trained incapacity)」と呼びました。 ルールによって単に目的を忘れるだけではなく、時には私たちの能力を制限する可能性すら持っています。

なぜ仕組みは目的を失うのか

このような問題にはいくつかの理由があると考えています。

組織は簡単に記憶喪失になる

組織やチームでは人の入れ替わりが絶えず発生します。 その過程で「なぜそのルールが作られたのか」という文脈は、驚くほど簡単に失われていきます。 これは経営学では「組織的忘却(Organizational forgetting)」と呼ばれます。

例えば、ある古いシステムにおいて「Shift-JISの範囲内の文字しか扱えない」という制約があったとしましょう。 当時は「文字化けによるデータ破損を防ぐ」という明確な目的のために、「Shift-JISのみ入力可」というバリデーションルールが作られました。

しかし、時間が経ち新しいメンバーが加わると、先輩からは「このシステムではShift-JISだけ使うように」とだけ教わります。 理由は不明ですが「ルールだから」と従います。さらに時間が経ち、当時の事情を知るメンバーがいなくなります。 システムは新しくリプレイスされ、Unicode(UTF-8)が扱えるようになっても、チームは「Shift-JISの範囲に収めるための修正作業」という、不要となったタスクを、理由もわからず守り続けてしまうのです。

考えないことが合理的になる

過度なプレッシャーが常態化した組織では、人は次第に「なぜこれをやるのか」と問うことをやめます。 目の前の作業を滞りなくこなすことが最優先になり、考えること自体がリスクになっていきます。

組織論では、こうした状態を「機能的愚かさ(Functional stupidity)」と呼ぶことがあります。 これは能力の欠如ではなく、有能な人であっても、組織内の摩擦を避けるために、あえて思考を止めてしまうのです。

これが極まると、「カーゴ・カルト」のような状況を引き起こします。 第二次世界大戦中、南太平洋の島々に駐留した米軍が滑走路をつくり、空から大量の物資を運び込みました。 それを見ていた島民たちは、戦後米軍が去った後に、木や竹で滑走路や管制塔の模型を作りました。 米軍と同じ行為を繰り返せば再び物資が届くと信じたといわれています。 これは、結果を生んだ本質的な要因ではなく、表面に見えていた手順だけを模倣してしまう状態です。

例えば、スタンドアップミーティングも、似た状態になりがちかもしれません。 本来スタンドアップミーティングでは、チームが状況を共有し、早期に問題を浮かび上がらせ、必要な助けを得るための場です。 しかし忙しさや慣れの中で、「昨日やったこと」「今日やること」「困っていること」を順番に読み上げるだけの儀式になる。 形だけ残ったスタンドアップミーティングは、その機能が失われます。

儀式化した仕組みは一見すると機能しているように見えます。だからこそ、疑問を口に出さないことが組織にとって安全な選択肢になってしまうのです。

指標が目標になる

施策が上手くいっているかを測定するために、KPIを置くのは一般的です。 しかし、「ある指標がターゲット(目標)になったとき、それは良い指標ではなくなる」とも言われます。 これは「グッドハートの法則」と呼ばれ、経済学者チャールズ・グッドハートが提唱しました。

この法則を示す有名な逸話として「ハノイのネズミ」があります。 1902年、仏領インドシナのハノイで、都市衛生を改善する目的でネズミ駆除政策が実施されました。 フランス植民地政府は、ネズミの尻尾を持参すれば報奨金を支払う制度を導入します。 ところが、人々はネズミを殺すのではなく、尻尾だけを切って放したり、報奨金目当てにネズミを繁殖させたりするようになりました。 結果として、ネズミの数は減るどころか、むしろ増えてしまいます。

このように、ある指標を導入することでその数値を目的としてしまい、本来の目的が置き去りにされるリスクがあります。

では、どうすればいいのだろうか

正直に言えば、私には解決方法がわかりません。多分、万能な解決方法などないのだと思います。

例えば私たちはKPIを検討するとき、それが先行指標として有用であることだけではなく、数値が恣意的に操作される可能性を予め想定しています。 KPIを期待しない形で操作しづらいものにしたり、別の指標と比べることで歪みが可視化されるような構造を意識しています。

目的を言い続ける

最近、私が大切かもしれないと思っているのは、目的を繰り返し伝え続けることです。

例えば私は会社のキックオフなどで、役員や部長が毎回同じことしか言っていないなと思っていました。 正直に言えば、毎回同じなので飽きていました。 しかし、振り返ってみると何度も同じ話を聞くことで、都度目標などが思い出されていました。

自分にとっては二度目の話でも、初めて聞く人は必ずいます。 また、改めて聞くことで目的を見失わずにいられたり、勘違いしていたことに気づけたりもします。

終わりに

ゴールをどこに持っていくべきか、自分でも分からなくなってきたので強引にまとめて終わろうと思います。

仕組みやルールは、組織の秩序を保ち効率を高めるためには不可欠なものです。 しかし、それらは常に本来の目的を失う危険性を内包しています。

仕組みをデザインするとき、私たちは常に「目的を知らない人や、目的が理解できない人がいる」という前提に立つ必要があります。 「多様なユーザーを想定して設計する」なんだかどこかで聞いた言葉が思い浮かびました。